女性の顔を棒?で殴り、バッグ強奪…男が逃走(読売新聞)

 28日午後11時25分頃、愛知県蟹江町の町道で、自転車で帰宅途中のアルバイト女性(24)が、前から歩いてきた男に突然、棒のような物で顔面を1回殴られ、前かごのバッグ(現金1万8000円入り)を奪われた。

 女性は左眼球破裂と頭蓋(ずがい)骨骨折などで2か月の重傷。男は近くの食堂の駐車場に止めていた軽自動車で逃走した。蟹江署は強盗傷害事件として捜査している。

 発表によると、男は茶髪で、黒のダウンジャケットを着ていたという。

<雑記帳>しょっつるパン発売 秋田(毎日新聞)
<官房長官>天皇陛下の公的行為「ルール作り困難」政府見解(毎日新聞)
<名古屋市議会>総合計画議決権条例を可決(毎日新聞)
首相への意欲「全くない」=仙谷氏(時事通信)
思いやり予算見直し議論も、日米審議官級協議(読売新聞)

<横浜国際総合競技場>命名権で日産と横浜市が再契約(毎日新聞)

 横浜市は1日、日産スタジアム(横浜国際総合競技場)の命名権(ネーミングライツ)について、日産自動車(横浜市西区)と再契約を結んだと発表した。契約額は従来の年間約4億7000万円から大幅減の同約1億5000万円となったが、不況で契約先探しが難航した市の担当者は「手を挙げていただいことには感謝したい」と話している。

 契約期間は1日から13年2月28日までの3年間。以前と同様、併設の温水プールと小競技場も命名の対象となる。契約に伴う同社による施設の無償使用は、契約額の引き下げで日数を大幅に減らす。

 命名権契約は、年間約5億円の維持管理費を補うことが目的で、市は同社と04年から今年2月まで5年間の契約を結んでいた。同社は09年8月「厳しい経営環境」を理由に契約更新の断念を表明。市は9月、契約額を3億円に下げて公募したが応募がなく、10月に約1億5000万円に引き下げて再公募したところ、同社が再び名乗りを上げた。応募は同社のみだった。

 施設を管理する市公園緑地管理課の担当者は「契約額が下がってしまったことは厳しく感じているが、できるだけ維持管理費の財源を確保したいところ」と話している。維持管理費の不足分は市費で賄う予定。【山衛守剛】

定員最多の阪大は7265人 国立大2次試験、教育・看護が人気(産経新聞)
<慢性疾患>生涯ローン…7割が「医療費重い」 東大調査(毎日新聞)
<都立高校>一般入試始まる 平均倍率1.53倍(毎日新聞)
「排出口詰まり逆流」=放射性廃液漏れの調査結果−浜岡原発(時事通信)
「プラス改定、素直に喜びたい」−全自病・邉見会長(医療介護CBニュース)

<プルサーマル発電>伊方原発3号機起動へ 国内2例目(毎日新聞)

 国内2例目のプルサーマル発電に向け、四国電力は1日午後、伊方原発3号機(愛媛県伊方町、加圧水型、出力89万キロワット)の原子炉を起動させる。2日朝、核分裂の状態が一定となる「臨界」を迎え、4日に発電を、30日に営業運転を始める。起動は2月下旬の予定だったが、同機で昨年11月に起きた放射能漏れの原因究明のため約1週間遅れた。今年1月に定期検査で運転を停止し2月9〜12日にMOX(ウラン・プルトニウム混合酸化物)燃料16体を取り付けていた。

 プルサーマル発電は、使用済みウラン燃料からプルトニウムを抽出して製造するMOX燃料を通常の軽水炉で燃やす発電方式。同じMOX燃料を使う高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)が95年のナトリウム漏れ事故で長期停止中のため、プルトニウム利用の“つなぎ役”から当面の“本命”に浮上した。97年に推進が閣議了解され、電気事業連合会も10年度までに全国16〜18基の原発で実施する計画を立てた。

 しかし、東京、関西電力で検査データ改ざんなどが発覚して計画が中断。大きなトラブルのない後発の九州電力が玄海原発3号機(佐賀県玄海町)で昨年11月、全国初のプルサーマル発電を始め、同様に地元との関係が良好な四電が続くことになった。【栗田亨】

【関連ニュース】
プルサーマル計画:福島県知事が受け入れ表明…条件付きで
プルサーマル計画:伊方原発3号機で送電開始へ
四国電力:伊方原発3号機 MOX燃料取り付け作業始める
女川原発:プルサーマル発電の実施、国が許可
核燃料サイクル 見えない先行き/1 日本初 プルサーマル始動

<鳩山首相>日本原発採用へ親書、ベトナムに協議求める方針(毎日新聞)
架空債権36億円詐取容疑、消費者金融元社長ら逮捕 流動化取引悪用で初立件(産経新聞)
<友愛ボート>日赤に参加打診 社長は慎重姿勢(毎日新聞)
女性の顔を棒?で殴り、バッグ強奪…男が逃走(読売新聞)
元作業員側の敗訴確定=原発被ばく訴訟−最高裁(時事通信)

ルイ17世

ルイ17世(Louis XVII, 1785年3月27日 - 1795年7月7日)は、フランス王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの次男で王太子。父ルイ16世の死後、王党派によって名目上のフランス王とされた。洗礼名によりルイ・シャルル(Louis Charles)とも呼ばれる。生涯出生と同時にノルマンディー公の爵位を受け、兄ルイ・ジョゼフの夭逝後は王太子(ドーファン)となった。姉はのちに従兄のアングレーム公ルイ・アントワーヌ(後のシャルル10世の長男)の妃となり、ブルボン朝最後の王太子妃となるマリー・テレーズである。第2王子として誕生を喜ばれ、「赤字夫人」とまで呼ばれたマリー・アントワネットも、子どもができると一時落ち着いた生活を送るようになったという。しかし、フランス王国では絶対王政が次第に揺るぎ始めていた時代でもあったため、その人生は不運なものだった。4歳のとき兄が死亡し、わが子を亡くした悲しみからか、母マリー・アントワネットの浪費がより激しくなる。1789年7月14日にフランス革命が勃発し、10月5日にヴェルサイユ行進が起こると、国王一家はパリに移った。身の危険を感じた国王一家は、2年後ヴァレンヌ逃亡事件を起こし、民衆によってタンプル塔に監禁された。このときルイ・シャルルは6歳だった。タンプル塔に幽閉されると間もなくルイ・シャルルは家族と引き離され、数ヶ月間靴屋のシモン夫妻が面倒を見た。しかし扱いはひどく、虐待されていたとも言われる。1793年、8歳の時にルイ16世が処刑され、叔父プロヴァンス伯(ルイ16世の弟、のちのルイ18世)ら反革命派によって、ルイ・シャルルはフランスの新国王に指名され、ルイ17世と呼ばれた。しかし、革命まっただ中のパリで監禁された身では戴冠式を行うこともかなわず、もとよりルイ・シャルル本人は国王と呼ばれていることさえ知る由もなかった。サン・キュロットに『ラ・マルセイエーズ』を教えられ、そのうち自分の身分も忘れていった。シモン夫妻の手から離れると、ルイ・シャルルはタンプル塔の日も当たらない一室に約2年間捨て置かれた。1日1回食事を持った革命軍の人間が「カペーのガキ」とだけ言葉をかけて生存確認を取り、食事を置いて行き、他には誰とも会話することもなかった。1795年、病死しているのが見つかった。死因は結核であり、遺体には疥癬と腫瘍が見つか

<鳩山首相>参院選後に省庁再編の意向(毎日新聞)
復元進む遣唐使船=奈良〔地域〕(時事通信)
大統領と会談求めてない=小沢氏(時事通信)
<大阪・橋下知事>府立高、撤退ルール検討 「私立と競争、選別強化」(毎日新聞)
国民新党の下地氏、民主の検察リーク調査に「参加しない」(産経新聞)

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。